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「蕪村公園を見て」

 思った以上に広い公園で、立派な句碑が据えられており、 NPO法人近畿フォーラム21や蕪村顕彰俳句大学の皆様のご苦労は一方ならぬものだったと思われました。

 それから、この次は是非とも春に訪れたいと思いました。その折には、「春風橋」を渡って、蕪村筆の「春風」の文字を見たいと思います。その頃の毛馬の堤には菜の花が咲いているでしょうか。「菜の花や月は東に日は西に」の光景をこの眼で見てみたいものです。

 また、「蕪村と毛馬」を紹介する DVDがあると、「蕪村公園」を広く世界に紹介するのに役立つのではないかとも思いました。

「国際俳句蕪村賞について」

 蕪村公園内には、国際俳句蕪村賞表彰句のプレートがあり、大阪府知事賞・大阪市長賞・大阪市教育委員会委員長賞の三者が並んでおり、大阪を挙げての活動であることが分かりました。「蕪村顕彰俳句大学第四期講座入賞句・大阪府知事賞」の「短日の大きな河を渡りけり 野澤あき」という句は雄大な景に作者の人生が象徴されている素晴らしい句であると思いました。

「義守大学俳句会について」

 義守大学俳句会は本年( 2012 年) 5 月に結成され、本学日本語学科の学生 15 名ほどからなっております。会員の中には、日本国内で挙行された俳句大会に於いて佳作に入選した学生もおりますが、文学専攻ではない上に、まだ、俳句の勉強を始めたばかりの学生たちですので、皆様にご指導ご鞭撻をお願い申し上げる次第です。以下はその入選句です。

星溶けて時間の淀む天の川  呉彬睿

戻らない青春のうた秋の蝉  王筑玉

一人酒してる男や冬の月   楊宗頴

大家族白玉食べる冬至かな  林詩?



花城可裕

台湾・義守大学
応用日語学系 講師兼副主任

「台湾の俳句事情について」

 台湾俳句は、日清の戦役と共に始まりました。今年( 2012年)は、台湾に俳句が伝来して118年目に当ります。しかしながら、台湾俳句は現在、滅びの危機に直面しております。

 台湾俳句界の第一人者であり、戦後四十数年間、台北俳句会会長として台湾の俳壇を指導して来られた?靈芝先生は、その著『台湾俳句歳時記』中の文章に、台北俳句会は、「創立の当初から、言葉の障壁により若い世代の後継者を多分持ち得ないだろう、いわば亡びを前提とした会である」と書かれて居られます。

 手前味噌になりますが、私は三年前の 2010年5月から、台湾の大学で日本語を学ぶ学生を対象とした「全国日本語俳句大会」を挙行しております。この俳句大会は、この百十数年間、台湾の大地で大切に育まれてきた台湾俳句を、?靈芝先生、そして台灣俳壇で活躍されている諸先生方〜― 廖運藩先生、 ?葉先生、楊海瑞先生、李錦上先生… のご指導の下、日本語学科の師生の手によって次代に伝えていくためのものです。 幸い、大会の趣旨にご賛同を賜り、台湾中の大学から御投句頂き、本年、第三回大会を無事開催する事ができました。

 さて、台湾俳句の歴史を顧みると、大きく二つに時代区分されるものと思われます。第一期は明治二十八年から昭和二十年まで、第二期は台北俳句会が創立された昭和四十五年(一九七〇)から今日までです。第一期はさらに三つに区分されます。それはちょうど明治、大正、昭和の元号で区切ることができます。明治期は渡邊香墨、小林李坪、岩田鳴球と言った子規の直弟子たちによる「日本派俳句」の時代、大正期は諏訪素濤を中心とした「碧派・新傾向俳句」の時代、終戦までの昭和期は山本孕江の指導による「ホトトギス・ゆうかり」の時代です。孕江は「台湾俳句」の確立の為、二十六年の長きに亘り、毎月、俳誌『ゆうかり』(創刊は大正十年)を発行し続けました。しかし、戦況の悪化により第一期に幕が下ろされます。 『ゆうかり』第二十五巻第三号(昭和二十年四月二十八日発行)に孕江は次のように書いています。「本誌用紙も茲に緊迫する時局の波に逼迫を告げ、かつ当局の御指示により、本號を以て一時休刊の止むなきに到りました。想へば本誌創刊以来ここに二十有六年、通巻二百八十一號を以て、ひとときの憩ひをとることになりました。会友同人諸兄よ、本誌は断じて廃刊ではありません。暫らくの間眼をふさぐに過ぎません。復刊の日もさまで遠くはないことを確信してゐます。」しかしながら、『ゆうかり』が復刊されることはありませんでした。

 義守大学で挙行される「全国日本語俳句大会」では、毎年大会の成果を残すために雑誌を発行しております。その雑誌 は孕江の台湾俳句の確立という遺志を受け継がんが為、ユーカリの学名である、「ユーカリプタス( Eucalyptus)」を 採 って誌名と致しました。「ユーカリプタス」とは、「良く覆った」と言う意味のラテン語で、ユーカリが砂漠などの乾燥した土地でもよく育ち、樹の葉で大地を「良く覆う」ことからそう名付けられたと言われています。台湾俳句が、恰もユーカリの樹が砂漠に繁っていくかのように、再び広まっていくことを祈念しての命名です。また、この雑誌に殊更ラテン語で命名したのは、決して衒学趣味からではなく、敢えて日本語でも漢語でもない言語を用いて命名することにより、立場の違いや偏狭な民族主義を超え、皆で共に 俳文芸 の世界に逍遥していきたいという希望を込めてのことなのです。

 次に第二期の台北俳句会四十数年の歴史を見てみると、それは正に艱難の歴史でした。台北俳句会が発足した当時は、日本語が公の場では使用が禁止されていた戒厳令下にありました。 ?靈芝先生は 護身用の日本刀を懐にして句会に臨まれたと 『台湾俳句歳時記』中の文章に 書かれて居られます。それは、「会員の誰彼に 手を出す者がいたら飛びかかるつもりだった。 芸術に国境のごときけったいなるものは存在しない。理不尽を私は許さない。」「神聖な句会を汚されたくない。」とのお心からでした。

  ?靈芝先生は台北俳句会会員の句を集め、本年までに 38冊の『台北俳句集』及び、『台北俳句会四十周年紀年集』を刊行されて居られます。また、先生に『台湾俳句歳時記』の御著書があることは広く人の知るところです。この四十数年間の精華は、38冊の『台北俳句集』と『台北俳句会四十周年紀年集』と『台湾俳句歳時記』とに見ることができます。

 最後に、学生俳句の現状は如何であるかと申しますと、卒業後は句作を止めてしまう学生が多いように見受けられます。現在、私は、弊校主催の俳句大会を、学生が俳句と「縁を結ぶ」為のものであると考えています。縁がなければ何も生じません。しかし、縁がありさえすれば、 20 年後 30 年後に、「そう言えば学生時代に俳句を作ったことがあるなぁ。また、俳句を始めてみようか」、と思ってくれる学生がいるかもしれません。そう思ってくれる学生が一人でもいたとしたならば、弊校の企ても徒労ではなくなると思っております。

「国際俳句蕪村賞を通じた国際交流への期待」

 蕪村の俳諧は、日本の近代俳句に多大な影響を与えました。同様に 21世紀の世界の俳句に、「国際俳句蕪村賞」が大きな寄与をする事を願って已みません。

 俳句を通じた「ご縁」を世界に広げ、世界平和に貢献することができる、それが「国際俳句蕪村賞」であると思います。